創立者紹介:安藤梅雄
創立者紹介:安藤梅雄
本学の創立者であり初代学長である安藤梅雄は、一九二一年、愛知県大府市に生まれた。一九四〇年、豊橋陸軍予備士官学校に入校。在学中より語学に秀で、教官からもその才を高く評価されていたと伝えられる。
終戦後、しばらくの空白の時期を経て上京した安藤は、一九四六年、みずから「城北興信所」を興す。当初は小さな一事業者に過ぎなかったが、その仕事ぶりは徐々に評判を呼び、事業は着実に拡大していった。一九六〇年前後には法人化を果たし、「城北通信調査」と名を改める。以後、通信・情報の分野における調査事業を営む企業として、長く堅実な経営を続けた。
安藤の経営者としての手腕もさることながら、周囲が特に驚かされたのは、その情報に対する並外れた執着であったという。「情報とは、それを持つ者と持たざる者との間に、決定的な差を生むものだ」というのが、彼が生涯を通じて口にした持論であった。もっとも、その言葉が具体的に何を指していたのか、詳しい事情を知る者は、今となっては多くない。
転機が訪れたのは一九八〇年代のことである。海の向こうで進みつつあった、大学発の新しい通信網の発展——今日のインターネットの萌芽——を伝え聞いた安藤は、事業の一線を退く決意を固めたと、後年語っている。「情報を独り占めにする時代は、もう終わる。これからは、それを分かち合える者が、真に力を持つ時代が来る」。この確信こそが、城北情報大学設立の直接の動機となった。
一九八六年、城北情報大学を設立し、みずから初代学長に就任した安藤は、開学にあたり自ら筆を執り、建学の精神・設立趣意書を綴った。そこに記された「真に価値ある知は、これを秘して独占するにあらず、分かち合うことによりてこそ、その生命を得る」という一節は、単なる教育理念の表明としてだけでなく、安藤自身の、長い実業家人生の総括であったのかもしれない。
学問の区分にとらわれず、知と知とが自由に結び合う場を——という彼の願いは、今日の城北情報大学の礎として、なお受け継がれている。